言語運用について


内田樹さんのブログを読んでなるほどなと思いました。

国語教育について
http://blog.tatsuru.com/2007/06/06_1222.php

「いいたいこと」がまずあって、それが「媒介」としての「言葉」に載せられる、という言語観が学校教育の場では共有されている。
だが、この基礎的知見そのものは果たして妥当なのか。
構造主義言語学以後(つまり100年前から)、理論的には言語とはそのようなものではないことが知られている。
先行するのは「言葉」であり、「いいたいこと」というのは「言葉」が発されたことの事後的効果として生じる幻想である。


これって、英語教育にも言えますよね。
自分が上手く英語を話せているときって(100回に1回くらいしかないけど)
いいたいことを考えているというよりは
いつの間にかそのセンテンスが口から出ているような、そんな気がします。


じゃあ、どうやって上達していくかというと

言葉には現実を変成する力がある。
そのような言葉に実際に触れて、実際に身体的に震撼される経験を味わう以外に言語の運用に長じる王道はない。
言葉によって足元から揺り動かされる経験に比べれば、読みの適否なんかどうだってよいではないか。
子どものときからそのような「力のある言葉」を浴び続けることだけが重要なのである。


これしかない気がしますね〜。
これからも大量のインプットを続けよう。