母校で体験発表をするの巻


先日、母校にて卒業生体験発表の講演をさせて頂く機会がありました。


今回は第10回記念発表ということで、
一般の卒業生とは別に特別枠が設けられ、話をさせて頂きました。


なんか特別扱いされて大変恐縮だったのですが、
うちの商業高校から理系の院に進んだのは
過去に僕一人だったので、珍しかっただけかもしれません。



で、その発表に向けて、


自分が今高校生だったらどんな言葉が必要なんだろうか??


ということを考えながら、


富の未来やフラット化する世界、ウェブ進化論フューチャリスト宣言。。。
その他、ビジョナリーの方々が書かれた本、又はブログなどを読み返しつつ、
自分の経験を改めて洗い直し、伝える内容へと落とし込んでいきました。



そして、
結局最後に残ったのは、



自分のしたいことは何かを見つけること。



ということでした。



これは梅田さんの好きを貫くの前のステップになるのかもしれません。



梅田さんは最近のブログで、好きなことを貫くことの必要性として以下のように書かれています。

いまは本当に「異常な事態」なんだと思うよ。その「異常な事態」を誰かのせいにして何もしない言い訳にして今日を明日をのんびり無為に過ごしたら、そしてそれを続けたら、十年たって本当に後悔すると思うよ。

 まずそこまでが「当たり前の世界認識」。じゃあそこからどうするかというときに、「好きなことを貫く」ことで競争力を出そうね、「好きなこと」でなければ徹底的には続けられないよね、それはネットが増幅してくれるよね、という話になるわけだ。

グローバリゼーションの荒波が押し寄せる中で、生き残るには競争力を高めるしかない。


ホント当たり前のことなんだけど、そのことに危機感を感じている人って、
ごくわずかな人ですよね、発表後に学校の先生方と話をしててもピンと来ていなかったみたいだし。
先生方は、未だに旧態依然とした時代遅れのシステムの中に生徒たちを組み入れようと必死に努力している。
そんなことは無駄ではないのか。。。となんだか心配になったりもしたのですが。。。


まぁ、ともかく、経験の少ない高校生に対していきなり好きを貫けと、志向性を求めるのは酷かと思ったので、
好きを見つけることから始めたらどうかと言うのが僕の趣旨でした。


日本の一般的な考えだと、好きなことをするというのは
どうも利己的なニュアンスが伴うために
日本人独特の仕事観である世のため人のために仕事をするというのと
相反するような気がして敬遠されがちですが、
過去に偉業をなした日本人にしても、
自分たちがやっていることに対して狂気と呼べるほどの愛情を持っていたと思います。
なので、好きを貫くことと社会的に意義があることは必ずしも直交することではないので、両立はできると思うんですよね。



でもまぁ、資格を取れだの、テストでいい点を取っておいた方がいいという他の卒業生に対して、資格を取るかどうかはあなたのやりたいことに照らし合わせて考えるべきだとか言ってる事が小難しくなったので、生徒は唖然となったかもしれない。。。


まぁでも、今の僕はしたいことに情熱を持って取り組めないと
これからの世界をサバイバルしていくことができないのではないかと思っている一人なので、どうしても伝えたかった。


ブログ書きながら思ったんですけど、こういうことって昔から言われていることですよね。
ただ、世界の状況が変わって、ただ惰性で生きていくのが難しくなってて、生きていくために必要な基準が上がってしまったのかもしれないなぁ、なんて思います。


なんだかんだ書きましたが、安心したのは


思っていた以上に、
志向性のある生徒が多かったことと、生徒たちのものすごい素直な心。
まぁ、あのまま進んでくれるなら、どんな状況でも大丈夫かもしれないなと思いました。


自分もこれから頑張らないとなぁ。。。