義理とコンプレックスと
以前、河合隼雄さんの訃報を知ってから、
河合さんの著書を読んでいないと思って、
本を買っていたのですが積読の状態でした。
でも、
を見たのと+諸々あったので、手にとって少しだけ読んでみました。
- 作者: 河合隼雄
- 出版社/メーカー: 培風館
- 発売日: 1967/10
- メディア: 単行本
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ユングはコンプレックスという言葉を現在の意味として初めて使ったんですね、知らんかった。
また、その本の中に、コンプレックスに関連して、
投影という自分の内に存在するコンプレックスを認知することを避けて、
自分の外の何かに投影して外的なものとして認知する行為があるのを知りました。
投影の例をあげると
「人間は皆、ズルイものですよ」と主張する人が非常にズルイ人であったりするとか、
人間はと一般的な言葉を使っているところに
自分が入っていない感じがするのが投影っぽいらしい。
他にあげると、
自分はやる気のない人を元気付けられるんじゃないかとか言ってる本人が意外とやる気がなかったり
という、やや逆説的なものも投影らしいです。
→自分のことだ。。。
僕がlifehackにこだわったり、本を読み漁るのも、
自分の能力に関する劣等感というコンプレックスが元で、
それらを投影してるんだろうなと思いました。
また、上記エントリに書かれている
やりたいことをやるために義理を欠くというのも
コンプレックスと投影のような関係なのかもと思いました。
自分は義理を欠いてるなぁ、というコンプレックス(C)が
自分のやりたいことをやるという投影(P)になる。
義理とは人間関係上などで、イヤでもやらないといけないこと。
ってことなので、
イヤでもやらないといけないことをやってない(C) → やりたいことをやる(P)(=やりたくないことをやらない)
という関係になるかなと。
なんか義理を欠くってネガティブイメージが付くけど、この結果、
他人にはできないような偉業を成し遂げてる人って多いよなって思ったり。
また、それによって、他の形で義理を果たしている気がするけど、どうなのかな。
なんというか義理の形が円じゃなくて、未来に向かう矢印な感じと言うか。
それは義理とは言わないかな。
うーん、考えが発散してきたので寝よう。