プチ決意
危機である。
やることがあり過ぎて、首が回らぬ。
完全にスケジュールが崩壊している。
と、茂木さんのまねしてみる。*1
絶対に茂木さんより忙しくないのはわかってるけど、
どう考えても、自分の一日にやれる量を超えてるので、開き直ることにした。
こういうときにはある種のふてぶてしい態度が必要なのではないかと思う。
そんなあわただしい日々の中で、
梅田さんが新しく出されたウェブ時代をゆくを読んだ。
ウェブ進化論の時とは何かが違う気がした。
一度に消化できるものでないので、本と対話をしながら
何回かに分けてブログに落とし込んでいこうと思う。
とりあえず、読後に感じたのは
「やめることを先に決める」ことである。それも自分にとってかなり重要な何かを「やめること」が大切だ。
というところ。*2
たぶん、自分の中でもやめないといけないとうすうす感じてはいたんだけど、
活字で読んでみると、ナイフで胸を刺されたような気分になった。
やっぱり、そうだよね、捨てるんだな、と。
あることをやめるということは、当然ながらあるものモノを失う行為だ。
そして、それに伴って問題が生じる。
例えば、僕に関係する人々はそれぞれのフィルターを通して
「●●のONOUE」という僕を見ている。
そうすると、当然僕には、その期待に応じた振る舞いを要求されるようになる。
しかし、彼らが思う「●●のONOUE」は
もはや、今の僕ではないのだ。
人の志向性やフィールドは常に変化をしている。
ある時には、素晴らしい経験でも、
時間が経っていくとただの重荷にしかならないことが多い。
志向性にそぐわなくなると特に重荷に感じる。
そういった中でも、
自分を取り巻く環境は否応なしに自分をその場に留めようと重力をかけてくる。
そういった、現実とのぶつかり合いに正面を切って立ち向かっていく覚悟ができてないと
「好きを貫く」ということはできないのだ。
ぶつかりから逃げるために、いろんな関係を絶って、無理やり海外に出て環境を変えないかぎりは。
と痛切に感じる。
このように、好きなものは見えているにも関わらず、
環境の重力に逆らえずに、いまいち捨てる覚悟ができていない人は多いのではないだろうか?
冒頭にやることが多いと書いたのも
僕がまだ覚悟ができていないことを表している。
もう好きなものはわかった。
後は戦うだけだ。
この記事はその決意表明にしたい。
。。。。。。あ、やっぱり、正月まで待って(笑)