好きを見つけるについて
後輩の子と話したあとでふと思ったんだけど、
「好きを見つけるには、自らが与える人になる」
ことが必要なんじゃないかと思ったり。
感覚的にふっと湧いたから上手く説明できないんだけど、
というのも。
「好きなことが見つからないんですよねー」
って言っている人の多くは(ていうか全員?)
何らかのイベントに参加することはしていても、
自らが中心になってイベントを興すようなことはしてないような気がするんですよね。
まぁ、自分が中心になってイベントをするくらいなら
大抵は自分が好きでないとやってられないので、
中心になってやってないのは当たり前な気もするんですけど。
好きをやってるっていうのは対象(人とかモノやコト)に対するベクトルが、
自分から出発している気がします。
簡単にいうとこんな感じかと。
自分 → 対象(好きなこと)
で、自分が何かに参加しているっていう状態だとこのベクトルが逆で
自分 ← 対象(好きかはわからない)
という感じ。
ここでの提案としては
その対象があまり好きかは定かではないが、
とりあえず、
自分が中心となって、与える人になる
ということをやってみるのはいいかもということ。
さっきの書き方でいうと
自分 → 対象(好きかはわからない)
になる感じ。
例えば
ボランティアに参加する、とかじゃなくて、
ボランティアをする会を企画する、とかそんな感じ。*1
まぁ、当たり前ながら、
自分が中心になってイベントを興したからって、
好きが見つかるわけではないんだけど、
少なくとも、対象とのベクトルが逆になるから何か違うんじゃないかと思ったり。
「好きなことが見つからないー」と言っている人を見ると
なんか「私に何かを与えてくれー」という顔をしているので
ふと思った今日この頃でした。
*1:もちろん企画とかイベントだけじゃないんですけど